遼東の豕日記

2007年6月から3年半大連に赴任していた(赴任開始時36歳)おっさんが、大連の生活や楽天イーグルスの応援等を書いていたブログです。帰国したため、現在は半休止中。

末の松山と津波

 百人一首に
契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波越さじとは
 という歌があります。この「末の松山」は宮城県多賀城市のある地名とされているのですが、百人一首を解説しているページの訳を見ると
■□■ 現代語訳 ■□■
約束したのにね、お互いに泣いて涙に濡れた着物の袖を絞りながら。末の松山を波が越すことなんてあり得ないように、決して心変わりはしないと。
 ……末の松山を波が越すなんてあり得ない、これは貞観地震による津波でも、末の松山まで波が達しなかった事を示しているそうなのです。私は今まで「末の松山」に行った事はなかったのですが、前の記事でサンディさんにこの「末の松山」の話を伺いましたので、せっかくだから行って見てくる事としました。

末の松山地図
 多賀城駅から末の松山までは、歩いて10分ほどの距離です。案内板もあり、迷わず行けるかと思います。

末の松山の駐車場
 駐車場もちゃんとあるので、車で来る人も安心です。トイレもありますね。

末の松山の松
 さて、これが末の松山の松です。なるほど、ちょっと地形が盛り上がっていて、津波が達しなかった、というのも納得できる感じです。三陸はリアス式海岸なので「津波が達しなかった」というところは(当たり前ですが)たくさんありますが、ここが歌枕として使われたのはなぜなんでしょうね? 当時のみちのくの中心(多賀城)に近かったからなのか、ちょっと盛り上がった地形が心象に残ったからなのか……?

末の松山の案内1
 歌の碑と、「末の松山」の解説です。

末の松山の案内2
 松尾芭蕉が訪れた事に、説明の約半分が割かれています。サンディさんも、それについてコメントされておりました。


 私は文学的素養はさっぱりですが(笑)、ちゃんとした人が書かれた訪問記もネットにはありますね。そちらも参考にして頂ければ、と思います。
  1. 2014/04/17(木) 22:07:15|
  2. 地震
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コメント

連理の松

末の松山の写真をありがとうございました。
男女が契りをし、枝を連ねた松のように末長くと願ったのに、……、という平安時代以来の日本の演歌?の源泉を訪ねたものでしょうか?
その松は津波にも流されず、そこの周囲に建てられた墓も流されずにあること。
桜木公園も少し築山をしてそこに桜を植えていれば、何本かは残ったかもしれませんね。
昔から残っている桜の古木は少し築山にした所からのしだれ桜などがあり、古人の智慧でしょうか。
  1. 2014/04/19(土) 09:13:36 |
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  3. サンディ #-
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